封鎖中のミラノから イズミふうこの日記

イタリア語と日本語(時々英語)で得る情報は、どれだけ同じなのか?どれだけズレているのか?

日本はイメージ爆上げのチャンスを逃した

 

イタリアは、今日も610人が亡くなりましたが、感染率は下がっているということで、昨日から具体的にフェーズ2(第2段階:特定の分野から封鎖を解く)に向けての話題でメディアはあふれています。

 

そんな中、国内最大手の新聞コリエレ・デッラ・セーラのメインページで。

出た!

「イタリアを支援した国リスト」

アルバニア、オーストラリア、ブラジル、中国、キューバ、エジプト、アラブ首長国連邦、フランス、ドイツ、インド、クウェート、ノルウェー、パキスタン、ポーランド、カタール、チェコ、ルーマニア、ロシア、バチカン、米国、台湾、トルコ、ウクライナ (そして各国からの支援の詳細が載っています)

原文:https://www.corriere.it/esteri/20_aprile_09/coronavirus-mappa-aiuti-ecco-paesi-che-hanno-sostenuto-l-italia-12ffb40a-79ba-11ea-afb4-c5f49a569528.shtml

 

実は、1ヶ月以上前から私、ずーっと思っていました・・・

日本は瀕死の欧州(というか、文字通りもう瀕死を通り越してる)を横目に、ずっと余裕があった、なぜここで派手に支援しないのか?

「中国は自分が元凶のくせにイタリアに支援をしてイメージを上げてる」、と苦々しい報道をするのに、なぜ日本はしないんだ!?

 

それは人道的支援という言葉にイメージされるような単純な「思いやり」の問題ではありません。

 

経験したこともないの悲劇と絶望を毎日受け止め続けるイタリア。

手を差し伸べてくれる存在は、有り難いを通り越して、後光がさして見えたと思う。

たとえ元凶が中国だったとしても、毎日立ち向かう現実の中では、それは別次元の話題です。

人工呼吸器を持って現れた中国人医師団はどんなに心強く、イタリア国民はどんなに感謝したでしょうか?

最初に到着したキューバの医師団が空港を歩いてくる姿は何度も何度もテレビで放映され、ヒーローの姿として目に焼き付いています。

 

毎日死者が増え、国全体が絶望している時、支援をしてくれた国のことを忘れるわけがないのです。

これはあと数年にわたってクールジャパンだの技術大国だののアピールをするよりも、ずっとずっとコスパのいい投資だったと思うのです。

 

あれよあれよという間に欧州はどんどんヤバイ状態となり、どの大国も万単位で感染者が急増していました。(今もです)。

正直、その渦の中から、日本の感染者・死亡者のデータを見たとき、「少なくてすごい」というよりも、「先進国で唯一こんなに余裕があるのに、なぜ何も助けてくれないんだろう?」とさえ感じられた。「横目で見ている」ような。

 

日本は日本で大変だから余裕がない、という意見はもちろんあるでしょう。

 

でも、3月中ずっと日本のメディアは毎日毎日、いかにイタリアが悲惨な状況か、を報道していたはず。事実を伝えるというより、野次馬的な、視聴率やページビューを稼ごうという意図が見えるような報道の仕方も多かった。

それは日本に「わー!かわいそう〜!」と他国に対して言える余裕があったからですね。

 

日本も大変、とは言え、大変さの桁や次元が違うことは誰にでも分かっていました。

大変なはずのアメリカやフランス、ドイツでさえもこの「支援してくれた国リスト」に入っているのです。各国から派遣された医師団は、感染爆発しているイタリアでデータを集めたり、経験を積んで自国のために役立てることもできるし、もちろん自国がヤバくなったら帰ることだってできる。そして何と言ってもイタリア国民の中にあと数年〜数十年、いいイメージが残り続けるのです。得るものはプライスレス。

 

日本はせっかく国のイメージを爆上げするチャンスがあったのに、みすみす逃したと思います。

記事は実は「他国からの支援が寄付なのか貸付なのかの違いを見極めなければいけない」というテーマで書いてあるのですが、一般市民的にはイメージが全てです。

経済のことを心配するなら、外交のチャンスは最大限に活用しなければダメ。

 

1ヶ月前、ヴェネト州の知事がアビガンの使用許可を得るため、伊医薬品庁とかけあって許可を得ました。臨床試験の結果がどうであれ、あの時、たとえばアビガンを持って日本の医師団が現れていたら、最高にかっこよかったのに。

 

私は日本人で良かった!と、心の底から思えたのに、と思うのですよね